'S not become hate

安田くんに徐々に心を奪われた北のオタク

今日までの想い①

タイトルのつけようのない記事。誰のためでもない、自分の人生のけじめとして残したい。その決心がやっと固まったように、ゆっくり書こうと思います。


わたしが初めて心から好きになったアーティスト、それが嵐だった。当時小学6年生、音楽やテレビがあまり近くにあるような環境ではなかったので、たったの15秒間のCMでの彼らに目が釘付けになった。それからというもの慣れない手つきでネットで情報を集め、当時彼らがやっていた唯一の深夜のバラエティ番組を夜ふかししてリアルタイムで目に焼き付け、CDを集めDVDを集め、飽きもせず毎日毎日観て聴き続けた。

だからそれが当たり前だった。毎日そばにいるものだと思っていた。

学生生活の辛いとき、友達と上手くいかなかったとき、学校に行きたくなかったとき、恋が上手くいかなかったとき、いつだって曲に支えられた。彼らの言葉に支えられた。

だからわたしは心から決まっていた。多分、きっとずっとずっと彼らのことを応援し続け支え続け、そうしてわたしが助けられたようにわたしもずっと寄り添えたらいいな、とそんな風に思っていた。

でもその違和感は突如訪れた。彼らの頑張りや努力が周りに認知され、認められ、ついには本当に手の届かないところまで行ってしまった。それを実感したのが09年。ちょうど10周年を迎える少し前くらいだったかな。わたしは当時中学〜高校生。ただでさえ地方民でコンサートになんて年に1度参加できればいいと思っていたものが、急に出来なくなった。会場が今までのものとは違うくらいに大きくなり、チケットが取れなくなった。最初はわからなかった。どうして会えないの?こんなに好きなのに。毎日テレビでは会えるのに。日頃の行いがなってないから?運がないから?わからなかった。世間がどうしてあんなにも急に彼らを受け入れ始めたのか。頭がついていかなかった。

彼らはずっと私たちファンのそばで一緒に歩いてくれていると思っていた。歩幅を合わせ、どんなに知名度が上がろうとも、決して置いて行くことなんてないと勝手に思っていた。

そして僕の見ている風景を最後にチケットが取れなくなった。


それからわたしも友達の影響で少しずつ嵐の曲を聴かなくなり離れていた時期があって、一昨年のjaponismで数年ぶりにまたコンサートに当選するようになった。

離れていたとは言っても、新曲が出れば集めていたしDVDも必ず買って観ていた。チケットが取れなくなりだした頃から嵐のコンサートチケットがプレミアチケットと呼ばれるようになり、全くジャニオタじゃない人にでも伝わるくらいにはトップアイドルになっていた。そこにまた違和感を抱えつつ、でもわたしが好きだった頃の彼らとは何も変わらないとそう思っていた。

結果、やっぱり凄かった。確実に演出の腕が上がっていた。圧巻だった。会えた嬉しさと完成度の高さで何度も涙が出た。ああ、わたしはやっぱりこのグループが好きなんだなとそんな風に思っていた。