'S not become hate

安田くんに徐々に心を奪われた北のオタク

それぞれの今、始まるから。

まさか東京オーラスブログを上げた翌日にオタク界隈を震撼させるような事実を突きつけられる日が来るとは思わなかったな。ここ最近でやっと自分なりに一呼吸置けそうだったので今筆を取っています。

 

9月5日。わたしが不安を感じ取ったのは友人からのメールだった。仕事中で携帯見れなかったからリアルタイムでのウェブメールも受け取れて居なかったけれど合間に見た友人からの通知で気が付いた。その子は根っからの錦戸オタだった。嫌な予感がした。仕事がひと段落付いてからメールを開いた。動画を見た。正直に頭が、心が、追い付かなかった。涙も出なかった。これから新しい形で活動を続ける5人が動画の中で気持ち悪いくらいの清々しい笑顔で笑っていた。確かに笑っていた。そこそこ長い動画の中で、一度も「錦戸亮」の名前が発される事はなかった。酷く疑問に思った。発表されたのが9月5日で彼が退所するのが9月30日。本当に突然の知らせだった。一か月切っていたのだから。レギュラー番組は6人での形では既に放送を終えていてわたし達オタクがもう一度6人での姿を観ることは叶わなかった。今回のツアー、札幌、名古屋、大阪、福岡、東京がラストの人も居ただろう。バラエティ番組が最後の人も居ただろう。彼らはわたし達にありがとうの一言すらも伝えさせてくれなかった。発表の次の日、取材に応じたのは村上くんと大倉くんだった。その週の生放送で顔と声で安心させてくれたのはマルだった。ラジオで愛の詰まった手紙を読んでくれたのは大倉くんだった。そこまで来てやっと、少しだけ前を向けた。誰のせいでも無い、各々が人生を考えるタイミングだったって事。痛いくらい、わかる。わかりたくないけど、わかるしかなかった。今でもしんどい。発表されてからわたしが目にしたのは、悲しい気持ちと同じくらいの怒りの感情だった。何も言わず一人去って行ってしまった彼を責め立てる、容赦無い言葉。酷く、悲しくなった。大好きな人達と大好きなグループが決めた事でも、大好きな人達と大好きなグループの歩む道が別々になってしまっただけで掌返したように責め立てる様に嫌気も差した。行き場のない思いをぶつける対象が彼しか居なかったんだろうな。でも、悲しかった。歩む道が別々になってしまったから敵になるの?見捨てた事に、なるの?彼らの事なんて全然知らないけれど、今までだってたくさんの夢を見せてくれた。6人での可能性に賭けてみようと思わせてくれた。いつだって先頭に立って引っ張ってくれていたのは錦戸亮ちゃん、あなただったでしょう。みんな忘れてしまったのかな。GR8EST初日札幌で見せた6人の表情も声もパフォーマンスもわたしは忘れない。ただ少しだけわたし個人のわがままを言わせて貰うとするならば、まだまだ6人での音楽に触れていたかった。6人の笑顔に触れていたかった。セルフプロデュースするアルバムとか、もっと曲に触れたかった。でも、叶わなくなってしまった。その現実が一番つらい。つらすぎてモンスターと化しそう。でもわたしは関ジャニ∞のオタクだから、彼らが歩みを止めない限り信じてついて行くしかない。最低で最弱だろうが愛するしかない。わたしらに出来る最上の愛情表現だと思うから。最後まで彼が退所を発表した日から退所するまで…もしくは、メンバーのみで話し合いが行われて退所する事が決まった瞬間から退所する日までなぜ自分の口から何も語ってくれなかったのかっていう疑問については先日発売された十五祭を観終えて自分なりに答えが出たのでそれを述べておきます。彼は昔から口下手で、男らしくないと思われる部分や人間的な弱さみたいなものを見せたくないと思っている人だとわたしは思っている。だからこそ納得の行くまで、メンバーの前でだけは本音でぶつかり合ったって事なんじゃないのかな。例え世間から後ろゆび指されようと、オタクに非難されようと、家族以上一緒に居た家族同然のメンバーさえ知って居てくれたらそれでいいと思ったんじゃないかと、わたしは思っています。話す事によって未練が残ったり、ただでさえお互い大変な道になる事が分かり切っていたから迷惑掛けたくないって気持ちもきっとあったと思う。いや、あったと思いたい。一言で言い表せるはずがないくらいの時間や思い出を共に過ごして来たんだから、ある意味表面上の彼らしか知らないわたし達オタクなんかよりも全然価値があるものじゃん?メンバーって。だからこれで良かったのかなっていつかは思うしか無い気がする。今はまだちょっと無理だけど。うん、改行もせず言いたい事言い切ったらスッキリした。うん。わたしは関ジャニ∞が最低で最弱な時も愛するし、錦戸亮ちゃんが一から作り始めたいと思ったエンターテインメントも応援するし、音楽に愛されて愛したすばるくんの事も変わらず応援し続けます。これから先生きていく人生の道が別々になったとしても生まれた場所は8人皆同じだから。それを改めて教えてくれたのが十五祭というツアーだったと、わたしは思っています。