'S not become hate

安田くんに徐々に心を奪われた北のオタク

今日までの想い②

結局小学6年生〜社会人2年目くらいの長い間飽きずに好きだった(途中離れたりの時期もあったとはいえ)グループは嵐だけだったなーとふと思ったことがあった。

嵐はこうだけど、同じ事務所の他のグループは一体どんな感じなのだろう?最初はそんな好奇心程度だった。

始めに手をつけたのがJUMP。そういえばわたしの年代ってJUMP好きな子が昔からなぜか多かったんだよな〜。ちょうど27時間テレビをやっていたりしたので自然とロックオンして観ていた。推しメンっぽい人も出てきた。一時期はJUMPばかり観て聴いていた。歳が近いけれど、すごいな〜パフォーマンス能力が高いな、えっ、ファンサなんてするの?すごい、ファンに優しい、、、。そんなイメージ。でも飽き性なわたしはそんなにも長く続かず、多分曲のテイストの好みも違ったのだろうけど、半年も経たずに気に留めなくなっていた。

次に目を止めたのがセクゾ。セクゾこそ手をつけることは絶対にないと思っていたグループ。このグループは、去年の嵐にしやがれでゲスト出演していたものを観て興味が湧いて知る対象になった。全員名前も顔も知らなくて、なんならセクゾがデビューし出した頃はどちらかというとかなりdisって(多分ふまけん)ただけにこれも意外な線だった。セクゾはとにかく若い。今時の時代に合わせたファンへの対応の仕方、一人一人のポテンシャルが非常に高い。キャラも一人一人が立っている。それに何より曲がめちゃくちゃ好み、、、。顔も名前も知らない、嵐しか聴いていなかったわたしでも何曲か知っていた曲があったくらい、1度聴くと耳に残るしとにかく良い曲が多い。掛け持ちまでとはいかないけど、若い世代での次世代を担っていってほしい、陰ながら応援したい枠に任命されました。

嵐から離れて、まず後輩ちゃん達を知るきっかけがあって知ったわけだけど、やっぱりどのグループも違うな〜。みんな違ってみんないいけど、やっぱり嵐が落ち着くな〜そんな風に思っていた。


前の記事に今年の抱負をあげたので重複してしまうけれど、今年はより多くのジャニーズコンサートに参加したい!を抱負にあげていた。行きたいな〜と思っていたグループは、(JUMPだけは予定が合わずに断念した)行くことができた。

中でも一番気になっていたのがエイトだった。エイトの存在は言わずもがなで、嵐さんとほぼ同時期からずっと活動をし続けていたグループではあったため浅いながらも認識はしていた。それがあったので、エイトだけは絶対に今年行きたい!と日程が発表され出した頃からずっと思っていたのでそこから知るきっかけにはなった。正直わたしの中でのエイトってお笑い、関西くらいのイメージしかなくて。曲になんて一切力を入れてないと勝手に思っていたのだ。本当に初めこそバラエティから入ったものの、シングルの表題曲から聴き始めたらなんと、曲がめちゃくちゃいいじゃないか、、、。しかもエッ!メンバー自ら楽曲活動してるの?!そこが嵐とは違った。

エイトさんがこんなにもみんな音楽が大好きで、音楽にかける情熱や葛藤や、みんなに届ける為の想いが強く出ていることを、わたしはこのグループを知らなければ一生気づかなかっただろう。テレビでのたった一瞬やっている面白いことを、変わらずにコンサートで大勢のファンに届ける姿勢。全力でコントをして全力で歌って踊って、全力で愛を届ける。そんな姿勢に心が震えた。目が離せなくなってしまった。

彼らだってもういい年齢だし、ジャニーズの中でだって先輩の位置にいるはずなのに、いつまでも高飛車になることはない。良い意味でずっと変わらない。みんなに平等で、誰よりも思いやりがある。そんな所を知ってしまった。コンサートで披露した曲やリクエストランキングで上位に上がった曲を次からのセトリに組み込んで、ファンの需要と供給を埋め合わせたり、ファンのことをeighterと呼んでくれていたり。あ、この人たちはいつまでもファンの人たちと一緒に歩いているんだ。どんなに苦しいこともあったかもしれない、悔しい思いもたくさんしたかもしれない、それでも変わらないメンバーと応援している周りの人と一緒に時にバカやって互いに支えあってきたのではないか。

それを知ってしまったときに、口には出さなくても自然と比べてしまっている自分がいた。

ハズレがないように毎年似たような曲ばかりをコンサートに組み込み、曲の繋がりだけを気にして代わり映えのないセトリになっていたり、コンサートでの挨拶がなんとなく機械的に時間通りに終わらせようとしている感じが見て取れてしまっていたり、中々ダンスをすることが減ってしまったり、生歌を聴くことが少なくなってしまったり、多分周りのもっと強い大人の力的なもので今の嵐という像が出来上がってしまったのかもしれない。元々の彼らの象徴であった仲の良さがいつの間にかビジネス化してしまい、寝ても覚めてもテレビをつければ嫌でも目にする機会が増え、周りの関係者にトップアイドルと呼ばれ大物扱いされていること。わたしはこれらに対して多分ずっとずっとずっと前からモヤモヤしていたんだと思う。

でも大好きな人だったから口に出したくなかった、思いたくもなかった。

どうしてこんな風に思ってしまうのかな、そんな自分が嫌だったのだ。だからずっと目を背けていた。

でもエイトに出会ってわたしは知ってしまった。気づいてしまった。長年抱えていた違和感の正体に。

最近ではなぜか曲を聴くことが怖くてたまらなくて、あまり聴けていなかった。今年も有難いことにuntitledに参戦させてもらう機会があったので予習しなくちゃとは思っていたけど、結局何度か聴いて臨んでしまった。ファンを10年していて、今この状態での初アリーナ。嬉しかったけど、やっぱり複雑な気持ちが生まれてしまって、なんだか申し訳なかった。ここに来ているお客さんの大半は、多分毎日仕事や学校を頑張って彼らに会うために来ているんだろうな。だからこんなにもキラキラして見えるんだろうな。そんなことを思っていた。心のどこかで、いつかアリーナ席が当たったら多分最初で最後だろうし、そこである意味終止符打つことになるのかな?と思っていただけに、人の心を呼んでいるのかと思うくらいの引きの強さで苦笑いしました。いや、コンサート自体はすごく楽しかったんだけどね、こんな状態なので素直に楽しめなくてごめんね。

そんなこんなでわたしのこの歪んだ愛情(?)のせいでまあかなり不安定だったわけです。

嵐というグループはいわば、わたしにとっては初恋相手で、永遠に好きな人。いつまで経っても歳を取っても大切な存在。多分完全に忘れたり嫌いになることはない。だけども、前までの熱で追いかけたり頻繁に曲を聞いたりすることはもうないだろうな。

彼らがね、言うんです。僕たちは後ろは振り向かない。前しか見ていない。その言葉がね、すごく寂しかった。別にね、昔にすがっていてほしいわけじゃなかった。ただ、あの頃の辛さや頑張ったことや思い出や燻っていた時期のことを忘れてしまったのかな?って寂しかったの。もう隣には歩いてくれないのかな?歩かせてくれないのかな?一生後ろを急ぎ足でついていかなきゃいけないのかな?そんな状態にわたしが勝手に疲れてしまっただけなんです。

僕たちは新しいことを生み続ける。それは多分、毎回その瞬間しか見ることはできなくて、また次の時には忘れられているんだろうなって、それが耐えられなかっただけなんです。そういう意味でいうと、彼らは永遠にアイドルの鑑だと思う。アイドルなんだから、演出で魅せたって派手な演出したっていいじゃない?エイトなんてコンサートでコントしたり、笑って歌えなくなる状況、ミスだったたくさんするよ?バンド演奏だって多いし?でも、こっちの方が何倍も人間味があるんです。本人が目の前にいてくれている実感があるんです。だってコンサートって、毎回違うから面白いでしょ?もちろん始まる前までに完璧に仕上げるのがプロなら普通なのかもしれない。というかエイトが自由すぎるだけなのかもしれないけれど、その自由さとのびのびさが今のわたしにはすごくピッタリしっくり来てしまったというだけ。

もう1つついでに言わせてもらうならば、嵐さんは売れ出した頃から急激に外国の方?に作曲されることが増えましたね。当時は滅多になかった英語の歌詞もすご〜く増えました。誰がいつ聴いてもいい曲。名曲。そんな曲ばかりが生み出されるようになりました。まるで、みんなが良いと思う曲でなければ歌わせられないとでも影で策略練られているような、そんな妄想まで考えてしまいました。彼らのカップリング曲すごく好きだったんだけどな〜、曲として個人的に好きだった全盛期を迎えていた頃の作詞家さん作曲家さんの名前は本当に見なくなりました。

わたしみたいな昔からずっとファンで急に心変わりというか違和感を抱えた方、いるのかな?まあ人生なんてオタクなんて人それぞれ感じ方も違うので、どうでもいいかもしれないですけどね。わたしはわたしで自分的にけじめをつけたかっただけです。

先ほども書きましたが、わたしはこれからも嵐さんのことを応援し続けるでしょう。ただ今までとは少し違うかもしれない。これだけの長い期間、執着し続けてごめんね。でも今回のコンサートに参加させてもらえたことでなんとなく考えが纏まりました。心置き無くっていったらまた語弊が生まれてしまうだろうけれど、なんとなく罪悪感が薄れているような気がします。

もうわたしの中で順位をつけるとして、一番ではなくなってしまったかもしれないけれど、あなた方はこれからもずっとわたしの中に共に生き続けてくれることと思います。

本当にありがとう。