今更ながらみんな大好きStreet Bluesについての感想を自己満で書き殴る
書こう書こうと思っていたのに気づけば年が明けていました。2018年です。明けましておめでとうございます。
2017年の総括
2017年を振り返ってみる。何と言っても一番大きい出来事は関ジャニ∞を好きになったことだと思う。
今日までの想い②
結局小学6年生〜社会人2年目くらいの長い間飽きずに好きだった(途中離れたりの時期もあったとはいえ)グループは嵐だけだったなーとふと思ったことがあった。
嵐はこうだけど、同じ事務所の他のグループは一体どんな感じなのだろう?最初はそんな好奇心程度だった。
始めに手をつけたのがJUMP。そういえばわたしの年代ってJUMP好きな子が昔からなぜか多かったんだよな〜。ちょうど27時間テレビをやっていたりしたので自然とロックオンして観ていた。推しメンっぽい人も出てきた。一時期はJUMPばかり観て聴いていた。歳が近いけれど、すごいな〜パフォーマンス能力が高いな、えっ、ファンサなんてするの?すごい、ファンに優しい、、、。そんなイメージ。でも飽き性なわたしはそんなにも長く続かず、多分曲のテイストの好みも違ったのだろうけど、半年も経たずに気に留めなくなっていた。
次に目を止めたのがセクゾ。セクゾこそ手をつけることは絶対にないと思っていたグループ。このグループは、去年の嵐にしやがれでゲスト出演していたものを観て興味が湧いて知る対象になった。全員名前も顔も知らなくて、なんならセクゾがデビューし出した頃はどちらかというとかなりdisって(多分ふまけん)ただけにこれも意外な線だった。セクゾはとにかく若い。今時の時代に合わせたファンへの対応の仕方、一人一人のポテンシャルが非常に高い。キャラも一人一人が立っている。それに何より曲がめちゃくちゃ好み、、、。顔も名前も知らない、嵐しか聴いていなかったわたしでも何曲か知っていた曲があったくらい、1度聴くと耳に残るしとにかく良い曲が多い。掛け持ちまでとはいかないけど、若い世代での次世代を担っていってほしい、陰ながら応援したい枠に任命されました。
嵐から離れて、まず後輩ちゃん達を知るきっかけがあって知ったわけだけど、やっぱりどのグループも違うな〜。みんな違ってみんないいけど、やっぱり嵐が落ち着くな〜そんな風に思っていた。
前の記事に今年の抱負をあげたので重複してしまうけれど、今年はより多くのジャニーズコンサートに参加したい!を抱負にあげていた。行きたいな〜と思っていたグループは、(JUMPだけは予定が合わずに断念した)行くことができた。
中でも一番気になっていたのがエイトだった。エイトの存在は言わずもがなで、嵐さんとほぼ同時期からずっと活動をし続けていたグループではあったため浅いながらも認識はしていた。それがあったので、エイトだけは絶対に今年行きたい!と日程が発表され出した頃からずっと思っていたのでそこから知るきっかけにはなった。正直わたしの中でのエイトってお笑い、関西くらいのイメージしかなくて。曲になんて一切力を入れてないと勝手に思っていたのだ。本当に初めこそバラエティから入ったものの、シングルの表題曲から聴き始めたらなんと、曲がめちゃくちゃいいじゃないか、、、。しかもエッ!メンバー自ら楽曲活動してるの?!そこが嵐とは違った。
エイトさんがこんなにもみんな音楽が大好きで、音楽にかける情熱や葛藤や、みんなに届ける為の想いが強く出ていることを、わたしはこのグループを知らなければ一生気づかなかっただろう。テレビでのたった一瞬やっている面白いことを、変わらずにコンサートで大勢のファンに届ける姿勢。全力でコントをして全力で歌って踊って、全力で愛を届ける。そんな姿勢に心が震えた。目が離せなくなってしまった。
彼らだってもういい年齢だし、ジャニーズの中でだって先輩の位置にいるはずなのに、いつまでも高飛車になることはない。良い意味でずっと変わらない。みんなに平等で、誰よりも思いやりがある。そんな所を知ってしまった。コンサートで披露した曲やリクエストランキングで上位に上がった曲を次からのセトリに組み込んで、ファンの需要と供給を埋め合わせたり、ファンのことをeighterと呼んでくれていたり。あ、この人たちはいつまでもファンの人たちと一緒に歩いているんだ。どんなに苦しいこともあったかもしれない、悔しい思いもたくさんしたかもしれない、それでも変わらないメンバーと応援している周りの人と一緒に時にバカやって互いに支えあってきたのではないか。
それを知ってしまったときに、口には出さなくても自然と比べてしまっている自分がいた。
ハズレがないように毎年似たような曲ばかりをコンサートに組み込み、曲の繋がりだけを気にして代わり映えのないセトリになっていたり、コンサートでの挨拶がなんとなく機械的に時間通りに終わらせようとしている感じが見て取れてしまっていたり、中々ダンスをすることが減ってしまったり、生歌を聴くことが少なくなってしまったり、多分周りのもっと強い大人の力的なもので今の嵐という像が出来上がってしまったのかもしれない。元々の彼らの象徴であった仲の良さがいつの間にかビジネス化してしまい、寝ても覚めてもテレビをつければ嫌でも目にする機会が増え、周りの関係者にトップアイドルと呼ばれ大物扱いされていること。わたしはこれらに対して多分ずっとずっとずっと前からモヤモヤしていたんだと思う。
でも大好きな人だったから口に出したくなかった、思いたくもなかった。
どうしてこんな風に思ってしまうのかな、そんな自分が嫌だったのだ。だからずっと目を背けていた。
でもエイトに出会ってわたしは知ってしまった。気づいてしまった。長年抱えていた違和感の正体に。
最近ではなぜか曲を聴くことが怖くてたまらなくて、あまり聴けていなかった。今年も有難いことにuntitledに参戦させてもらう機会があったので予習しなくちゃとは思っていたけど、結局何度か聴いて臨んでしまった。ファンを10年していて、今この状態での初アリーナ。嬉しかったけど、やっぱり複雑な気持ちが生まれてしまって、なんだか申し訳なかった。ここに来ているお客さんの大半は、多分毎日仕事や学校を頑張って彼らに会うために来ているんだろうな。だからこんなにもキラキラして見えるんだろうな。そんなことを思っていた。心のどこかで、いつかアリーナ席が当たったら多分最初で最後だろうし、そこである意味終止符打つことになるのかな?と思っていただけに、人の心を呼んでいるのかと思うくらいの引きの強さで苦笑いしました。いや、コンサート自体はすごく楽しかったんだけどね、こんな状態なので素直に楽しめなくてごめんね。
そんなこんなでわたしのこの歪んだ愛情(?)のせいでまあかなり不安定だったわけです。
嵐というグループはいわば、わたしにとっては初恋相手で、永遠に好きな人。いつまで経っても歳を取っても大切な存在。多分完全に忘れたり嫌いになることはない。だけども、前までの熱で追いかけたり頻繁に曲を聞いたりすることはもうないだろうな。
彼らがね、言うんです。僕たちは後ろは振り向かない。前しか見ていない。その言葉がね、すごく寂しかった。別にね、昔にすがっていてほしいわけじゃなかった。ただ、あの頃の辛さや頑張ったことや思い出や燻っていた時期のことを忘れてしまったのかな?って寂しかったの。もう隣には歩いてくれないのかな?歩かせてくれないのかな?一生後ろを急ぎ足でついていかなきゃいけないのかな?そんな状態にわたしが勝手に疲れてしまっただけなんです。
僕たちは新しいことを生み続ける。それは多分、毎回その瞬間しか見ることはできなくて、また次の時には忘れられているんだろうなって、それが耐えられなかっただけなんです。そういう意味でいうと、彼らは永遠にアイドルの鑑だと思う。アイドルなんだから、演出で魅せたって派手な演出したっていいじゃない?エイトなんてコンサートでコントしたり、笑って歌えなくなる状況、ミスだったたくさんするよ?バンド演奏だって多いし?でも、こっちの方が何倍も人間味があるんです。本人が目の前にいてくれている実感があるんです。だってコンサートって、毎回違うから面白いでしょ?もちろん始まる前までに完璧に仕上げるのがプロなら普通なのかもしれない。というかエイトが自由すぎるだけなのかもしれないけれど、その自由さとのびのびさが今のわたしにはすごくピッタリしっくり来てしまったというだけ。
もう1つついでに言わせてもらうならば、嵐さんは売れ出した頃から急激に外国の方?に作曲されることが増えましたね。当時は滅多になかった英語の歌詞もすご〜く増えました。誰がいつ聴いてもいい曲。名曲。そんな曲ばかりが生み出されるようになりました。まるで、みんなが良いと思う曲でなければ歌わせられないとでも影で策略練られているような、そんな妄想まで考えてしまいました。彼らのカップリング曲すごく好きだったんだけどな〜、曲として個人的に好きだった全盛期を迎えていた頃の作詞家さん作曲家さんの名前は本当に見なくなりました。
わたしみたいな昔からずっとファンで急に心変わりというか違和感を抱えた方、いるのかな?まあ人生なんてオタクなんて人それぞれ感じ方も違うので、どうでもいいかもしれないですけどね。わたしはわたしで自分的にけじめをつけたかっただけです。
先ほども書きましたが、わたしはこれからも嵐さんのことを応援し続けるでしょう。ただ今までとは少し違うかもしれない。これだけの長い期間、執着し続けてごめんね。でも今回のコンサートに参加させてもらえたことでなんとなく考えが纏まりました。心置き無くっていったらまた語弊が生まれてしまうだろうけれど、なんとなく罪悪感が薄れているような気がします。
もうわたしの中で順位をつけるとして、一番ではなくなってしまったかもしれないけれど、あなた方はこれからもずっとわたしの中に共に生き続けてくれることと思います。
本当にありがとう。
今日までの想い①
タイトルのつけようのない記事。誰のためでもない、自分の人生のけじめとして残したい。その決心がやっと固まったように、ゆっくり書こうと思います。
わたしが初めて心から好きになったアーティスト、それが嵐だった。当時小学6年生、音楽やテレビがあまり近くにあるような環境ではなかったので、たったの15秒間のCMでの彼らに目が釘付けになった。それからというもの慣れない手つきでネットで情報を集め、当時彼らがやっていた唯一の深夜のバラエティ番組を夜ふかししてリアルタイムで目に焼き付け、CDを集めDVDを集め、飽きもせず毎日毎日観て聴き続けた。
だからそれが当たり前だった。毎日そばにいるものだと思っていた。
学生生活の辛いとき、友達と上手くいかなかったとき、学校に行きたくなかったとき、恋が上手くいかなかったとき、いつだって曲に支えられた。彼らの言葉に支えられた。
だからわたしは心から決まっていた。多分、きっとずっとずっと彼らのことを応援し続け支え続け、そうしてわたしが助けられたようにわたしもずっと寄り添えたらいいな、とそんな風に思っていた。
でもその違和感は突如訪れた。彼らの頑張りや努力が周りに認知され、認められ、ついには本当に手の届かないところまで行ってしまった。それを実感したのが09年。ちょうど10周年を迎える少し前くらいだったかな。わたしは当時中学〜高校生。ただでさえ地方民でコンサートになんて年に1度参加できればいいと思っていたものが、急に出来なくなった。会場が今までのものとは違うくらいに大きくなり、チケットが取れなくなった。最初はわからなかった。どうして会えないの?こんなに好きなのに。毎日テレビでは会えるのに。日頃の行いがなってないから?運がないから?わからなかった。世間がどうしてあんなにも急に彼らを受け入れ始めたのか。頭がついていかなかった。
彼らはずっと私たちファンのそばで一緒に歩いてくれていると思っていた。歩幅を合わせ、どんなに知名度が上がろうとも、決して置いて行くことなんてないと勝手に思っていた。
そして僕の見ている風景を最後にチケットが取れなくなった。
それからわたしも友達の影響で少しずつ嵐の曲を聴かなくなり離れていた時期があって、一昨年のjaponismで数年ぶりにまたコンサートに当選するようになった。
離れていたとは言っても、新曲が出れば集めていたしDVDも必ず買って観ていた。チケットが取れなくなりだした頃から嵐のコンサートチケットがプレミアチケットと呼ばれるようになり、全くジャニオタじゃない人にでも伝わるくらいにはトップアイドルになっていた。そこにまた違和感を抱えつつ、でもわたしが好きだった頃の彼らとは何も変わらないとそう思っていた。
結果、やっぱり凄かった。確実に演出の腕が上がっていた。圧巻だった。会えた嬉しさと完成度の高さで何度も涙が出た。ああ、わたしはやっぱりこのグループが好きなんだなとそんな風に思っていた。
新年早々語る。
新年明けましておめでとうございます。
2017年の目標、抱負は、たくさん食べ歩きをすることと、資格合格すること、色んなアーティスト(ジャニーズ)のコンサートに行くことです。どうぞよろしく。
先日の少クラを見ててふと思ったので書こうかな〜と思い、指を走らせています。(指を走らせる、、、?)
今回のネタについては、10年あまり嵐一筋だったわたしがなぜ昨年Hey Say JUMPとSexy Zoneの沼と化したのかです。
尚、毎度のことながら本人が感じた独断と偏見、推しについての贔屓を込めておりますので悪しからず。
そもそもじゃんぷにハマりだしたのは昨年のMUSIC DAYという長時間音楽番組だった訳なのだけど。それまでは嵐以外はあまり興味がなくて(見たとしても同期の関ジャニや先輩グループくらいしか見てなかった)年下グループと言われる子達には全くもって興味がなかったのだ。それまでは。
とりあえずそれまでは録画環境がなかったのでリアルタイムで追っていたのは本当に好きな番組くらいしかなかったので、情報も仕入れられなかったっていうのもあって、とりあえず多くの番組を録画してとりあえず見てみよう(ジャニーズが出てる番組を)!と思って録画していたのだけど。
そこで(話は戻ります)ウィークエンダーと真剣SUNSHINEを披露していたじゃんぷにまんまとハマった訳です。あのダンスのフォーメーションといい歌詞といい曲調といい、とにかく自分の中でハマるものがあった。それがきっかけ。
セクゾは昨年の嵐にしやがれにてゲスト出演していたのがきっかけです。(詳しく言うとケンティのキャラ)
アイドルと言えども勿論本業の音楽活動やツアーのDVDを見るのも好きなんだけど、わたしは何よりアイドルがしてるバラエティを見るのが大好きで、それは多分嵐に影響されたのだと思うんだけど。
わたしが思うに嵐って、割とデビュー時すぐから冠番組を持たせてもらっていた分、バラエティ力も強ければトーク力も強いグループだと思うんです。彼らが話すこと、言動、ゲストへの話の振り方、食リポ、身体の張るシーン、挙げてもキリがない程好きな部分ってあるんですけどそれが、嵐の作ってきた魅せてくれたバラエティっていうのが自分の中でのアイドルがするべき最低ラインというか、基準になっているんですね。もちろん贔屓目込みなのかもしれないけれど、もはや今では嵐がどんなコーナーをしていようと大体面白いな〜と思えるんですよね。なのでじゃんぷやセクゾにハマった時も、全曲を漁る前にまずはメンバー個人がどういう人間なのかという特性を見るためにもバラエティを観たんですね。でも、なんていうのかな〜例えば身体を張ることを要求されていたとしたら拒んで中々やらないとか、だからこそ見応えがなかったりとか、そもそもバラエティに慣れていなかったりとか、そういう面がたくさん見えてしまったんですね。時代という言葉一括りにしてしまうのは申し訳ないかもしれないけれど、深夜時代の嵐はどんなに画にならなかったとしても視聴率が取れなかったとしても、本人達が、やってる本人達が一番楽しそうだったので観てるこっちも楽しいんだよなって思えていたのに。わたしと同じ世代(もしくは年下)のアイドルちゃんがへこたれている場面を見ると、やっぱりつまらないなあと思ってしまいます。まあそれはハングリー精神じゃないけれど、彼らの持ち味だとも思うし、番組の色というか、色んな見せ方もあると思うし、今の状況でも充分楽しいと思えてるファンの子が多いと思うのだけど。わたしみたいなまだまだ日の浅いファンに言われるのも癪だよな〜と思いながらもわたしはそう思っていました。きっと今は昔に比べたらタレントでもないただのアーティストが簡単に自分の番組を持てるような時代ではないも思うのだけど、せっかくの機会なんだし、これからもっともっと腕もトーク力も磨いていってほしいな〜と思いました。それにね、自分と同じ世代の子達が身体を張っていたりしたら、自分も頑張ろうって背中を押してもらっているような気がするんです。だからこそ頑張って欲しいな〜という愛情からの言葉です全て。これぞ愛の鞭!と捉えて頂ければ。
これからは時代を背負っていくことになるだろうし簡単には折れないように強く逞しく生きて欲しいな〜。
ありがとう素晴らしき世界
年末です。大晦日です。本当は前に書いた記事で年内最後こ更新になるよなって思ってたのですが、やはりきちんと自分の中であったことを記しておきたかったのでガキ使見ながら更新していこうと思います。
2016年の初詣でおみくじを引いたわたし。人生で初めて大吉を引いたのでさぞいい年になるだろう!と意気込んでいたのもつかのま。仕事面でも金銭面でも中々追い込まれる年となりました。
それはさておき。わたしの活動拠点となっているジャニオタ活動について振り返っていきましょう。
6月のMUSIC DAYを観たその瞬間から今まで意識もしてなかったHey Say JUMPへの熱が芽生え、11月の半ばにはSexy Zoneにも片足を突っ込みだした始末。
本当に本当に想定外で、嵐以外で好きになるグループなんて一生できないだろうな〜とこの10年ほどは思っていたのですがね。自分が1番驚いています。
後輩の活躍をたくさん目に止めた年でしたね〜。あの時代は全くもって色気もなければトーク力もなかった子達が力を付けて色々な面で活躍の場を広げている姿は、なんだか自分のことのように胸がほっこりしました(ほぼ同い年か年下が多いけど)
そしてそして。我らが嵐のコンサート、Are You Happy?札幌公演の2日目に参戦させてもらいました〜。席はもちろん遠かったんだけど(来年の如く)その距離なんて気にならなくなるほど楽しませてもらってきました。
去年に比べてはどちらかというと演出にもこだわらずに素の5人のパフォーマンスを見ているかのようで、見ているこちらもリラックスして楽しめました。(いつもは興奮しすぎて内容とか覚えてない)
個人的にはやっぱりDRIVEの演出が本当にすきだったな〜。わちゃわちゃ嵐さんかわいかった。
そしてそしてそして。わたしが参戦した公演でも発表がありました、我らが相葉さんが単独で紅白の司会をなさるということで。
長いことファンをしていたわたしとしては本当に嬉しいし、あんなにおバカキャラで天然だった相葉さんが今では国民的に愛されるようなキャラへと位置付いてくれたことが本当に嬉しくて嬉しくてとっても微笑ましいです。健気で頑張り屋さんで弱音を吐かない優しい彼が認められた瞬間だと思いました。初めはバラエティをこなすのすらもおぼつかなくて見てるこっちがヒヤヒヤさせられてたのに、今では安心してドッカリ構えて見ていられるので素敵だなと思ってます。
紅白の失敗やミスも味になるだろうし、きっと嵐のみんなが明るくカバーしてくれるだろうなあ。そんなグループで本当に良かったね。そんな彼らに出会えて本当に幸せに思います。
来年の抱負としましては、趣味でもある食という道を極めてたくさんのお店を食べ歩きしたいっていうことと、たくさんのコンサートに出向きたいな〜って思ってます。
フォロワーさんにも会いたいし(╹◡╹)♡
また来年も色々環境が変わるだろうけど、わたしなりに、ほどよい無理をして、ほどよい現実逃避をして、自分らしく生きていこうと思います。
ありがとうさようなら2016年。
待ってろ2017年!
2016年の年末。スマスマ最終回
本当はハピコンのレポもメモ程度に綴りたいな〜と思っていたけれど、コンサートの全日程を終えるまでは懐に暖めておくことにしました。
なので今回は1度は触れたいなと思っていたSMAP解散ネタについて触れていこうと思います。
昨日、2016年12月26日をもってレギュラー番組となっていたスマスマが最終回を迎えました。
全然ファンでもなければ推していたわけでもないけれど、いざ無くなると思った瞬間からやはり止められない想いが溢れて来ました。
そもそも私が1番最初に好きになったジャニーズが香取慎吾くんでした。丁度その頃は慎吾ママが流行っていて、当時私は小学校低学年でした。思えば私が今になってまでジャニーズという華々しいアイドルを好きになるきっかけだったのかもしれない。
昨日のスマスマ最終回は、今まであまり知られていなかった初期メンバーが6人だったことやメンバーが時間を起こしたことなど目を瞑りたくなるような当時のリアルタイムな出来事も纏めてくれていたので、スマスマ最終回を観たらなんとなく表面だけではなくて内側まで知ることが出来たような気がする。
特に私達の世代が物心ついた頃にはSMAPは当時でいう日本一の男性アイドルグループのトップ。日本への経済効果や音楽というジャンルに新しい風を吹かせたのも、ジャニーズ事務所を引っ張って来たのもSMAPでした。
そんな彼らも年齢を重ね、段々とメディアからの露出が減ってきた頃に世代交代とも言わんばかりの嵐推しが始まったわけです。
世間では、嵐とジャニーズを対立させるようなファンの方もいればどちらも好きな方もいたりと様々だけど、個人的にはやっぱり解散前に2グループの共演が観たかったな。
話は戻りますが、普通のアイドルだと喫煙シーンや事件を起こしたことだったり、あまり現実味のあるような行動は避けられてきたと思うんだけど、SMAPは割とそういう面では私達一般人寄りだなーと思いました。なんというか、自分達の未熟な面とかも包み隠さずにテレビを通して全国の人に伝えるという姿勢がすごくストレートでカッコいいなって思って。森くんが脱退してからはずっと5人で活動して来たわけだし、ファンもメンバー自身も、何があっても見捨てない姿勢がすごくすごく頼もしくて暖かくてかっこいいなって思ったの。
だからこそ日本を背負うくらいのアイドルへと指示されたのではないかなと思います。
綺麗なことだけじゃない、ただ仲がいいだけじゃやってこれていない今までの28年間が色濃く映し出された特番でした。
あ〜でもね〜本当にね、スマスマ最終回を迎えるまでは本当に解散するなんて実感が湧かないものですよね。なんていうんだろう、特別追いかけていたグループではなかったけれど、いつも当たり前にあるような空間すぎて実感がなかったのかな?
それに同じ事務所の先輩達だから、やっぱりただならない感情でいっぱいでした。解散も脱退も本当にひとごとではないし、それでもいつかはこんな日が来てしまうのかなって思ったら、嵐に重ねて寂しく思ってしまったり。ファンの中では永遠に好きだと言う気持ちは消えないし、ずっとずっと心の中で生き続けていくんだよな。毎日テレビで観れていることが当たり前ではないし、一瞬一瞬を大切にしていきたい、焼き付けたい、そんな風に今回の騒動を受けて私が感じたことです。
今まですごくマメに生放送という電波を使ってファンに声を届けてくれていたのだから、やっぱり最後くらい一瞬でもいいから本人達の口から直接言葉が聞きたかったな。謝罪でも懺悔でも感謝でも、もうどんな言葉でも構わないから。それをしなかった、もしくはできなかったというのならばやはり裏で何かしらの策略があったのかな?クリーンな世界ではないからなんとも言えないけどね。全て私のひとり言です。
最後に、SMAPのみなさん本当に本当に今までお疲れ様でした。
数知れない名曲を残し、歴史を刻み、今を生きている私達の記憶に濃く刻まれているグループです。私の大好きなジャニーズのメンバーもSMAPに憧れてデビューを志した子達もいるくらいで、本当に感謝しています。
もう5人そろってテレビで観られなくなるのは寂しいけれど、私達は絶対に今日までのことを忘れません。
今まで本当にありがとう。そして本当にお疲れ様でした。